はじめに
20世紀後半から21世紀初頭にかけての経営やマネジメントにおいて、最も重視されたのは「失敗をなくすこと」でした。製造業の品質管理に代表されるように、失敗は「不良」や「不適合」と同義であり、徹底的に排除すべきものとされてきました。その思想を国際的に体系化したのが ISO 9001(品質マネジメントシステム) や ISO/IEC 27001(情報セキュリティマネジメントシステム) などの規格群です。
日本では高品質な製品を提供することを誇りにしており、徹底した品質管理を行うことが付加価値につながると信じ、組織が失敗を未然に防ぎ、統制を強化するための枠組みを提供するため、これらのISO規格を多くの企業が導入しました。
しかし、21世紀に入ってからの環境変化、特に 不確実性の増大 と イノベーションの必要性 によって、従来の「失敗回避型」マネジメントは限界を迎えました。
現在、世界的な潮流は「失敗を恐れるのではなく、失敗を学習資源として活かし、どれだけ速く学べるかが競争力を決める」という方向へと大きくシフトしています。その流れを背景に、若手世代の仕事に対する期待も変化し、従来のマネジメントとの間に大きなギャップが生じています。
本記事では、まず 若手人材が仕事に期待すること を整理し、次に 旧来型組織とのギャップ を描き出し、さらに 世界的なマネジメント思想の転換(ISO規格の変化を含む) をたどります。そして最後に、これらをどう接続し、若手人材の成長と組織の競争力を同時に実現していくかを考察します。
若手人材が仕事に期待する5つの価値
若手世代(ミレニアル世代やZ世代)は、従来世代の「安定志向」とは異なるキャリア観を持っています。彼らは「挑戦」「成長」「市場価値」「意味づけ」を重視し、その傾向は世界的に共通しています。
1)経験密度
若手人材は「短い期間で濃密な経験を積むこと」に価値を感じます。ルーティンワークや長期にわたる同じ業務ではなく、短いサイクルで仮説検証や実験を繰り返すことを望みます。この「経験密度」がキャリア形成のスピードを決定すると考えているのです。
2)市場価値
社内での昇進や序列よりも、外部市場で通用するスキルや実績を重視します。プロダクト開発力、データリテラシー、顧客理解力といったスキルは転職市場や副業市場でも評価されやすく、若手が求める「ポータブルな能力」です。
3) 自律性
若手人材は「自分で意思決定して行動したい」という強い欲求を持っています。上司の細かい指示に従うだけの仕事では成長実感を得られず、逆にモチベーションが下がります。ガードレール(安全枠組み)が示されているならば、自律的に挑戦する余白を求めます。
4)透明性と安全性
心理的安全性の確保は、若手の挑戦に不可欠です。Googleの「プロジェクト・アリストテレス」でも、チーム効果性の最重要要因は心理的安全性であると特定されました。失敗を報告しても不利益を受けない環境でこそ、若手は率直に意見し、リスクを取った挑戦ができます。
5) 社会的意義
若手は「この仕事は何のために行うのか」という意義を重視します。単に利益を上げることよりも、社会的なミッションや公共性とのつながりがある仕事に魅力を感じます。優秀な学生を採用する際に重要なのは高額な給与ではなく、その会社や組織が社会にどう貢献しているかという点です。
この傾向は世界的にもここ5年ほどで顕著になり、近年では学生からの企業への質問においても、SDGsへの取り組みなど社会的意義に関する内容が増えてきています。
旧来型マネジメントが抱える構造的なズレ
仕事に対する若手人材の期待と旧来型組織の思想には大きなギャップがあります。このギャップが、若手人材のモチベーション低下や早期離職を招く一因となっています。
若手人材世代と旧来組織の思考の違い
| 若手世代の思考 | 旧来組織の思考 | |
| 経験密度 | 「短期間で濃密な経験を積むこと」に価値を感じる。ルーティンワークや長期にわたる同じ業務では満足できない。 | 長期間の同じ部署での経験や、着実に積み上げる勤続年数が評価される。多様な経験よりも「一つの道を極める」ことが重視される。 |
| 市場価値 | 社内での昇進や序列よりも、外部市場で通用するスキルや実績を重視する。 | 社外で通用するかよりも「社内での地位」や「上司からの評価」がキャリアの中心。会社内での安定が価値とされる。 |
| 自律性 | 若手は「自分で意思決定して行動したい」という強い欲求を持っている。 | 上司の指示に従うことが基本。意思決定は上層部の役割であり、部下は慎重に指示待ちをするのが望ましいとされる。 |
| 透明性と安全性 | 心理的安全性の確保は、若手の挑戦に不可欠。失敗を共有できる文化を求めている。 | 失敗は責められる対象であり、報告をためらう雰囲気がある。組織の秩序維持が優先され、率直な意見は控えるのが無難とされる。 |
| 社会的意義 | 若手は「この仕事は何のために行うのか」という意義を重視している。 | 会社の目的は利益確保と安定雇用。社会的な意義よりも、業績や売上といった数字を最優先する傾向が強い。 |
離職・停滞を生む4つの摩擦ポイント
若手人材世代が旧来型の組織で働くと、価値観や考え方の違いから摩擦を感じることがあります。もちろん、すべての組織に当てはまるわけではありませんが、世代によって仕事に対する思想は変化するという点を忘れてはいけません。
これまでは「組織の考え方に自分を合わせる」ことが当然とされてきましたが、これからは「組織側も変化に応じて考え方を変える必要がある」という発想が求められます。以下に示すのは、現時点でよく見られる摩擦の例です。
- 評価枠の不一致
旧来型の評価は短期的な数値目標の達成を重視します。学習や挑戦の過程は評価されず、若手人材の努力が認められにくい場合があります。
旧来型の組織では、評価者が決めた評価設定に対して評価されるため、若手が意義を感じない評価軸が設定されることも少なくありません。
- 過保護と責任回避
マネジメント側は「失敗させてはいけない」「成功体験を与えたい」という心理や、ハラスメントと誤解されることへの不安から、若手人材に挑戦させずに仕事を取り上げてしまうことがあります。もちろん成功体験は大切ですが、本来は失敗を経験してこそ成功の喜びを実感できます。失敗を取り除いてしまうと、若手人材は成長の機会を失い、意欲やモチベーションを下げてしまうリスクがあるのです。
- 新規事業への冷遇
既存事業の利益を守ることが優先されるあまり、新規事業に関わることが「本流から外れたキャリア」と見なされ、不利になる場合があります。役割や評価の軸に沿わない行動をとったり、利益を生みにくい新規事業に配属されたりすると、「本業では役に立たない」と認識されやすいのです。こうした見方が広がると、イノベーション推進部門や新規事業部門に所属する人材が正当に評価されず、組織内で摩擦や不公平感を生み出す原因となります。
- 共有されない失敗
失敗は責められる対象とされやすいため、報告されず隠匿されてしまうことがあります。その結果、組織全体の学習のスピードが遅くなり、同じ過ちが繰り返されます。さらに悪いケースでは、複数のメンバーが同じ失敗を繰り返すという悪循環に陥ります。本来、成功事例を誇るよりも、失敗から学ぶことこそが成長の大きなきっかけになります。なぜなら、真の勝者は数多くの失敗から学び続けた人の中から生まれるからです。
ISO規格にみる「失敗回避」から「失敗活用」への流れ
世界的なフレームワーク、例えば、エンタープライズ・アジャイル手法のSAFe、ITサービスマネジメント手法のITILなどでは、ヒトを中心とした人的資本の要求事項が追記され、更新し続けられています。この流れはISO規格も同様です。世界的なフレームワークを利用する利点は、社会的、経済的、人的などの様々な変化に対してフレームワーク自体がアップデートされる点にあります。
ISO規格のマネジメント思想の流れを追うと、1980年代から2000年代にかけては「失敗回避型」が主流でしたが、2010年代以降は「失敗許容・活用型」へと大きくシフトしていることが分かります。
ISO規格の流れ:リスク回避型からリスク許容型へ
| 発行年 (最新改訂) |
ISO規格 | リスクに対する考え方 | タイプ分類 |
| 1987年初版、 2015年改訂 |
ISO 9001 (品質マネジメントシステム) |
不適合を防止し、是正・予防を徹底する。「リスクに基づく考え方」が導入されたが依然として回避的 | リスク回避型 |
| 2005年初版、 2022年改訂 |
ISO/IEC 27001 (情報セキュリティマネジメントシステム) |
CIA(機密性・完全性・可用性)を守るため、リスクを低減・回避。残存リスクは「受容」可能だが限定的 | リスク回避型 (ただし限定的に「リスク受容」を認める) |
| 2009年初版、 2018年改訂 |
ISO 31000 (リスクマネジメント) |
リスクを特定・分析し、低減・回避・移転・受容を選択。枠組みは包括的だが「リスク=脅威」の色合いが強い | リスク回避型寄り(管理フレームワーク型) |
| 2019年 | ISO 56002 (イノベーションマネジメント・ガイドライン) |
不確実性を前提とし、リスクを「挑戦の機会」と捉える。失敗は学習として価値化すべき | リスク許容型 |
| 2023年 | ISO/IEC 42001 (AIマネジメントシステム) |
AIの不確実性を前提に、リスクを排除するのではなく説明可能性・改善プロセスで制御 | リスク許容型 |
| 2024年 | ISO 56001 (イノベーションマネジメントシステム要求事項) |
ビジネス環境における不確実性を制度的に許容し、組織的に学習資産に転換する仕組みを必須化 | リスク許容型 |
この時系列の変化は、世界的なマネジメント思想の転換を象徴しています。
なぜ思想転換が起きたのか
なぜ「リスク回避」から「リスク許容」へと転換したのでしょうか。その背景には、社会環境・経済構造・技術革新の三つの要因があります。
1) 社会環境の変化
- VUCA(注1)時代の到来
変動性・不確実性・複雑性・曖昧性が高まる中で、「失敗を完全に避ける」ことは不可能になりました。 - グローバル化の進展
サプライチェーンや市場が複雑に絡み合い、一国や一企業がリスクを遮断することはできなくなりました。
(注1) VUCA(ブーカ)とは、社会やビジネスにおける「Volatility(変動性)」「Uncertainty(不確実性)」「Complexity(複雑性)」「Ambiguity(曖昧性)」という4つの英単語の頭文字を組み合わせた造語。将来の予測が極めて困難な状態や状況を指す。
2) 経済構造の変化
- 知識・サービス経済への転換
製造業中心の「不良ゼロ」モデルから、スピードや学習の早さが価値を生む経済へとシフトしました。 - イノベーション主導型経済
既存事業の成長余地が限界に達し、新規事業や破壊的イノベーションへの挑戦が不可欠になりました。 - 投資家の期待の変化
株主も短期的な利益より、企業の「イノベーション力」や「変革力」を重視するようになっています。
3) 技術革新の影響
- デジタル化の加速
AI・IoT・クラウドなど変化が速く予測困難な技術環境では、失敗を前提に動かなければ対応できません。 - AIの不確実性
AIは不透明な要素が強く、誤作動や予測不能な挙動に対応するには「失敗を記録・改善する仕組み」が欠かせません。 - スタートアップ文化の広がり
「Fail Fast, Fail Smart(素早く失敗し、そこから学ぶ)」という考え方がスタートアップだけでなく、大企業にも浸透しています。
ISO 56001が導く「挑戦を支える仕組み」
企業の中で若手人材世代と旧来組織の間には、しばしば価値観や働き方のギャップが存在します。このギャップを放置すると、若手人材の早期離職や新規事業の停滞を招き、組織の持続的成長に大きな影響を及ぼします。
この課題を克服するための有効な枠組みのひとつが イノベーション・マネジメントシステム(IMS) です。ISO 56001(2024年)に代表される国際規格は、「若手の期待」と「組織の制度」を橋渡しする強力なツールとなり得ます。
1)失敗を資産化する仕組み
従来のマネジメントでは失敗は排除すべきものでした。しかしISO56001(イノベーション・マネジメントシステム)は「失敗を学習資源に変換する」ことを明確に示しています。若手人材にとっては挑戦が正当に評価される土壌となり、旧来組織にとっては失敗を組織知に転換できる安心感が生まれます。
2)評価基準の多元化
IMSでは成果だけでなく「学習のプロセス」も評価対象とされます。例えば、仮説検証の回数や学習成果がKPIに含まれるため、若手人材は挑戦の過程を評価され、旧来組織も定量的にマネジメントできます。
3)権限委譲の仕組み化
若手人材に自律性を与えつつ、重大リスクは組織が吸収する「ガードレール(安全枠組み)型の権限委譲」を制度化できます。これにより、若手人材は自由に挑戦でき、旧来組織も安心して見守ることが可能になります。
4)心理的安全性の醸成
IMSは「オープンな文化」を重視します。失敗を共有し、称賛する場を設けることで、若手は安心して発言でき、旧来組織もイノベーション活動を「リスク管理の枠内」で受け入れられるようになります。
組織の仕組みは「更新前提」
企業の仕組みは一度つくれば終わりではなく、社会や市場の変化に合わせて見直す必要があります。かつては制度を固定しても長く通用しましたが、今日のVUCA時代では数年、場合によっては数か月で古くなってしまうこともあります。そのため、仕組みを変えるサイクルはますます短くなっています。
変化に対応するには、顧客や市場だけでなく、従業員やこれから社会に出る若者の価値観の変化も捉える必要があります。変化を素早く察知し、組織内で情報を迅速に共有し、早く意思決定することが欠かせません。旧来型の階層的な組織では情報が伝わるのに時間がかかり、判断が遅れてしまいます。大切なのは、情報をオープンに扱い、現場と経営が素早く対話できる仕組みです。
さらに重要なのは「変化に気づく」だけでなく、「変化に適応し、新しい価値を生み出すまでの時間を短縮すること」です。そのためには、慎重な準備にこだわるのではなく、小さく試し、失敗から学びながら前進する方法が有効です。
こうした考え方を制度として支えるのが、国際規格 ISO 56001(イノベーション・マネジメントシステム) なのです。この規格は、失敗を学習資産として扱い、学びのプロセスを評価に組み込み、情報共有や迅速な意思決定を仕組み化します。また、権限委譲も整え、若手人材の挑戦と旧来組織の安定志向を結びつけます。
組織の仕組みは固定するものではなく、常に変化に合わせて更新していくもの。ISO 56001は、その前提を実現するための実践的な枠組みを提供しています。
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