PoCまでは進むのに、事業化で止まる
「PoCまではうまくいったのですが、その先に進まないんです」
新規事業やDX、AI活用に取り組む企業では、このような課題が生じることがあります。
新しい技術を調査し、アイデアを出し、スタートアップやベンダーと連携してPoC(概念実証)を実施する。技術的な実現可能性が確認され、利用者から一定の評価を得られるところまでは進みます。
ところが、いざ事業化を検討しようとすると状況が一変します。
営業部門からは「誰が販売するのか」、既存事業部からは「既存商品と競合しないか」と問われます。情報システム部門からはセキュリティや運用負荷、法務部門からは契約や知的財産、財務部門からは投資対効果や黒字化までの期間について確認が求められます。
その結果、会議や追加調査が繰り返され、意思決定に時間がかかります。場合によっては担当者の異動などをきっかけに、プロジェクトが立ち消えになることもあります。
こうした状態が続くと、いわゆる「PoC疲れ」につながります。
しかし、問題はPoCの進め方だけにあるとは限りません。背景には、PoCから事業化へ移行するための経営の仕組みが十分に設計されていないという、より構造的な課題があります。
PoCの件数を増やしたり、人材育成や外部連携を強化したりしても、この仕組みが整っていなければ、事業化につながらない状態が繰り返される可能性があります。
日本企業は本当に「イノベーションが苦手」なのか
企業では、スタートアップとの協業、大学との共同研究、アクセラレーションプログラム、アイデアコンテスト、ハッカソン、社内ベンチャー制度など、さまざまなイノベーション活動が行われています。
つまり、「何もしていない」わけではありません。時間や予算を投じ、新しいアイデアや技術を生み出す活動に取り組んでいる企業は少なくありません。
それでも、「新しい事業が育たない」「PoCばかり増える」「新しいビジネスモデルにつながらない」といった課題が生じることがあります。
ここで考えたいのは、課題が「アイデアを出すこと」や「活動を始めること」ではなく、生み出したアイデアや技術を、顧客価値や事業へ変換するプロセスにあるのではないかということです。
多くの企業では、
アイデアを出す → 技術を開発・探索する → PoCを行う
ところまでは進めます。
しかし、その先の
顧客価値を検証する → ビジネスモデルを構築する → 必要な経営資源を投入する → 既存事業との利害を調整する → 市場投入する
となると、関係する部門や意思決定が一気に増えます。
さらに、事業を拡大する段階では、人材や予算の追加投入、提供体制の整備、既存事業との調整など、より多くの経営判断が必要になります。
イノベーションを「新しいものを生み出す活動」とだけ捉えると、この問題を見誤ります。重要なのは、アイデアや技術を価値へ変換し、事業として継続できる状態まで運べるかどうかです。
そして、この価値への変換は、個人の力だけで実現できるものではありません。
PoCの先は、技術検証から「経営判断」へ
PoCまで進みやすい理由の一つは、少人数・小規模な予算で始められることです。
大規模な投資や組織変更を伴わず、既存事業への影響も限定しやすいため、「まず試してみる」という意思決定を行いやすい特徴があります。
ところが、事業化の段階に入ると、求められる判断は大きく変わります。
商品として販売するなら営業やマーケティング、顧客情報を扱うなら情報システムやセキュリティ、契約には法務、価格や投資判断には財務や経営企画、人員を増やすなら人事など、関係する部門が一気に増えます。
さらに、既存事業との関係も考えなければなりません。
PoCの段階では「技術的に実現できるか」が主要な問いだったものが、事業化では、
- 誰に売るのか
- 誰が責任を持つのか
- 既存事業と競合しないか
- どこから人と予算を確保するのか
- 赤字期間をどこまで許容するのか
といった経営上の問いへ変わります。つまり、PoCから事業化へ移る瞬間に、技術プロジェクトから経営プロジェクトへ変わるのです。
そのため、PoCと事業化を同じ評価基準や意思決定プロセスのまま扱うと、事業化の段階で停滞しやすくなります。
「全員正しい」のに、プロジェクトが止まる
事業化を難しくするのは、各部門の懸念が必ずしも間違っているわけではないことです。
- 営業部門が「本当に売れるのか」と確認する
- 情報システム部門が運用負荷やリソースを懸念する
- 法務部門が契約や法的リスクを確認する
- 財務部門が投資回収の見通しを求める
- 既存事業部が既存商品との競合を懸念する
どれも、それぞれの部門の役割から見れば合理的な判断です。
問題は、各部門が自分たちの役割を適切に果たした結果、会社全体では新しい事業への意思決定が進まなくなることがある点です。これは、担当者の意識だけの問題ではありません。組織の役割や評価基準の設計に関わる問題です。
既存事業を運営する組織では、それぞれの部門に役割とKPIがあります。
- 営業は売上
- 開発は品質や納期
- 情報システムは安定運用
- 法務はリスク低減
- 財務は収益性や資本効率
それぞれの立場から見れば、売れるか分からず、利益も見通しにくく、運用負荷や新たなリスクを伴う新規事業は、既存のKPIと必ずしも整合しません。会社全体では取り組む価値のあるテーマでも、各部門から見ると優先しにくい。
この構造を変えないまま、「部門の壁を越えて協力してください」と求めるだけでは限界があります。
「組織横断プロジェクトを作ればよい」という誤解
こうした課題への対応として、多くの企業では部門横断型のプロジェクトチームを設けます。
営業からAさん、開発からBさん、DX部門からCさん、管理部門からDさんなどメンバーを集め、新規事業を推進する体制をつくる。これは有効な方法の一つです。
しかし、メンバーを集めるだけで、部門間の壁がなくなるわけではありません。実際にはAさんの人事評価を営業部長が行い、Bさんの予算を開発部長が握り、Cさんには既存業務があり、Dさんは管理部門のルールに従わなければなりません。
プロジェクトに参加していても、所属、評価、予算、権限が既存部門に残ったままであれば、日常業務との優先順位で新規事業が後回しになることがあります。
これは、担当者の意識が低いからとは限りません。既存組織の評価制度や役割から考えれば、合理的な行動でもあります。
つまり、人を横断させただけでは、組織を横断したことにはなりません。必要なのは、部門をまたいで意思決定し、人材や予算などの経営資源を配分できる仕組みです。
PoCの先で避けて通れない「既存事業」との衝突
新規事業を進めるうえで、避けて通れないのが既存事業との関係です。
企業は既存事業によって利益を生み出しており、人材や予算をはじめとする経営資源も、既存事業を中心に配分されています。営業組織、販売チャネル、基幹システム、業務プロセス、評価制度、取引先との関係など、企業の仕組みそのものが、既存事業を効率的に運営するために設計されています。
一方、新しい事業は、その前提と衝突することがあります。
例えば、新しいデジタルサービスを提供すれば、従来の対面販売を前提とした営業体制を見直す必要が生じるかもしれません。
サブスクリプションモデルへ移行すれば、売り切り型商品の売上に影響する可能性があります。
AIによって業務を自動化すれば、工数に応じて売上を得る既存の受託ビジネスと、新しいサービスが競合する場合もあります。
つまり、新しい事業が既存事業とは異なる価値提供や収益モデルを採るほど、既存事業との間に摩擦が生じる可能性があります。
「価値探索」が「社内調整」に変わるとき
新規事業と既存事業が衝突したとき、現場の担当者だけで、「既存事業を守るのか、新規事業を優先するのか」という判断を下すことはできません。
これは、本来経営が判断すべき問題です。
しかし、その判断を行う仕組みがなければ、新規事業側の担当者が調整を担うことになります。営業部門、既存事業部、情報システム部門、法務部門、財務部門など、それぞれに説明し、理解や協力を求めなければなりません。
その結果、本来は顧客の課題を捉え、新しい価値を検証するために使うべき時間が、社内調整に費やされるようになります。
イノベーション担当者の役割が、「新しい価値を探索すること」から「社内調整」に変わってしまうのです。
こうした状態が続けば、担当者が疲弊し、PoCの先へ進むこと自体が難しくなります。これも、「PoC疲れ」が生じる要因の一つと考えられます。
本当に不足しているのは「イノベーション人材」なのか
イノベーションが進まないとき、課題を「人材不足」と捉える企業は少なくありません。
- イノベーション人材を育成する
- デザイン思考などの手法を学ぶ
- 外部の起業家や専門家から知見を得る
- アイデアコンテストを開催する
- 社内起業家を育成する
こうした取り組みは、新しい発想や知識を増やすうえで有効です。しかし、人材を育成するだけで、PoCから事業化まで進められるとは限りません。
どれほど優秀な担当者であっても、
- 必要な予算を確保できない
- 意思決定の権限がない
- 既存部門から必要な人材を確保できない
- PoC後の事業化基準が決まっていない
- 既存事業と同じKPIで評価される
- 事業化に伴う部門間調整を担当者自身が担わなければならない
といった環境では、新しい事業を前に進めることは難しくなります。問題を「イノベーション人材が不足している」と定義すれば、解決策は人材育成になります。しかし、問題を
「不確実な機会を価値へ変換するための組織能力が不足している」
と捉えれば、必要な対策は変わります。
求められるのは、人材育成だけではありません。予算、権限、評価基準、資源配分、事業化までの意思決定プロセスを含めた経営の仕組みを整えることです。
必要なのは「PoCの後」を設計すること
この問題を解決するには、次のような取り組みが必要です。
1)PoCを始める前に「その先」を設計する
まず、PoCを始める前から、その後どのような段階を経て事業化へ進むのかを設計しておく必要があります。
例えば、探索 → PoC → 価値検証 → ビジネスモデル検証 → 事業化 → 市場投入 → 拡大
というように、イノベーション活動を複数の段階として捉えます。
重要なのは、すべての段階を同じ基準で評価しないことです。
PoCの段階で、数年後の売上を精緻に予測することには限界があります。初期段階では、「何を学習できたか」「どの仮説を検証できたか」「顧客の課題が実際に存在するか」といった点を確認します。
事業化に近づくにつれて、顧客獲得の可能性、収益構造、提供体制、必要な投資規模などを評価します。
不確実性が減っていくのに合わせて、評価基準や投資規模も変えていくことが重要です。
2)経営がポートフォリオで管理する
第二に、経営レベルのポートフォリオ管理が必要です。
すべてのPoCを事業化する必要はありません。複数のテーマを探索し、その一部をPoCへ進め、さらに可能性のある案件へ段階的に投資していく。すべてのPoCを事業化する必要はありません。
イノベーションでは、一つの案件を既存事業と同じ確実性で評価するのではなく、複数の探索活動をポートフォリオとして捉えることが重要です。得られた情報をもとに、継続するのか、追加投資するのか、方向転換するのか、終了するのかを判断します。
3)経営が資源と優先順位を決める
第三に、部門を越えた資源配分と意思決定の権限が必要です。
新規事業を進めるために営業、開発、IT、法務など複数部門の協力が必要であれば、担当者が個別に「協力をお願いする」だけでは十分ではありません。必要な人材、予算、時間を部門を越えて配分できる仕組みが必要です。
また、既存事業と新規事業の優先順位が衝突した場合には、どちらに経営資源を配分するのかを経営が判断しなければなりません。
これは、イノベーション担当者だけに背負わせるべき仕事ではありません。
「失敗するリスク」だけでなく「やらないリスク」を管理する
新規事業への投資には、当然ながら失敗のリスクがあります。
投資した案件が成果につながらなければ、投入した費用や人材、時間といった損失は明確に見えます。そのため、「なぜ投資したのか」という説明責任も生じます。
一方で、投資しなかったことによる損失は見えにくいものです。
新しい市場への参入が遅れた、顧客ニーズの変化を捉えられなかった、新しい技術への対応が後手に回ったとしても、その損失と過去の意思決定との因果関係は明確にならない場合があります。その結果、組織では「やらない方が安全」という判断が選ばれやすくなります。
しかし、変化の大きい環境では、現状維持も一つの意思決定です。AI、人口構造、脱炭素、顧客行動、地政学、デジタル化など、事業環境が変化する中では、何もしないことにもリスクがあります。
したがって経営には、「この投資が失敗するリスクは何か」だけでなく、
「この機会を探索しなかった場合、何を失う可能性があるのか」という視点も必要です。
新しい取り組みのリスクと、何もしないリスクの両方を比較しながら、投資や資源配分を判断することが重要です。
イノベーションは「プロジェクト」ではなく「経営システム」である
ここまで見てきたように、PoC疲れは単なる現場の疲労ではありません。PoCは実施できているのに、その先の事業化が進まないのであれば、経営の仕組みを見直す必要があります。
「担当者の能力が足りない」
「もっと良いアイデアを出そう」
「PoCの精度を上げよう」
と考える前に、経営側が確認すべきことがあります。
- PoC後の意思決定プロセスは明確か
- 誰が事業化を判断するのか
- 既存事業との衝突を誰が調整するのか
- 部門を越えて人材や予算を配分できるか
- 探索段階と既存事業で評価基準を分けているか
- 継続・方向転換・中止の基準が明確か
- 得られた学習を次の活動に引き継げるか
そして何より重要なのは、「なぜ自社はイノベーションに取り組むのか」という経営の意図と、個々のPoCがつながっているかという点です。
これらが明確でないままPoCだけを増やしても、事業化まで継続的に進めることは難しくなります。
イノベーションは、一つひとつのプロジェクトを成功させる活動ではなく、機会を探索し、学び、資源を配分し、価値実現までつなげる経営の仕組みとして捉える必要があります。
PoC疲れは、現場ではなく経営へのサイン
PoC疲れという言葉は、どこか現場側の問題であるかのように聞こえます。
しかし、現場ではすでにアイデアを出し、技術を検証し、外部企業と連携し、PoCまで進めているケースがあります。それでも事業化につながらないのであれば、次に見直すべきなのは、現場の努力ではなく経営の仕組みです。
必要なのは、アイデアや技術を
「探索 → PoC → 学習 → 価値検証 → ビジネスモデル → 事業化 → スケール → 価値実現」
まで運ぶ経営の仕組みです。
PoCはゴールではありません。
PoCの先を経営が設計していなければ、現場には事業化へ進むための道筋がありません。だからこそ、「PoCまでは進むのに、なぜ事業にならないのか」という現象に直面したとき、問いを変える必要があります。
「なぜ現場は事業化できないのか」ではなく、「自社には、PoCを事業へ変える経営の仕組みがあるのか」と。
PoC疲れは、イノベーション活動そのものの失敗ではなく、現場の努力に頼ってきた活動を、経営の仕組みとして見直すべき段階に来ていることを示すサインと捉えることができます。
こうした経営の仕組みを体系的に整えるための枠組みの一つが、ISO 56001(イノベーション・マネジメントシステム)です。
ISO 56001の考え方に沿ったイノベーションの仕組み化は、システムコンシェルジュにご相談ください
ISO 56001 認証を取得する/取得しない を問わず、イノベーションの仕組み化の導入をご検討中の企業さまは、まずはシステムコンシェルジュにご相談ください。貴社の状況に合わせてご案内いたします。
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