目次
- 「新規事業部」ではなく、経営システムを変えなければならない
- 日本企業の問題は「技術不足」ではなく「経営システム不足」にある
- 日本企業に多い「イノベーション不全」の5つの症状
- ISO 56001は「認証取得」よりも「経営システム」として使うべき
- DXの停滞も、イノベーション不全の一部
- 先進事例は「実験の場」を経営に組み込んでいる
- 経営陣は「イノベーション・ポートフォリオ」を持つべき
- 人材育成は「研修」ではなく「配置と権限」で決まる
- ISO 56001導入を12カ月で始めるロードマップ
- 2030〜2035年に向け、イノベーションは防衛策でもある
- 自社のイノベーションは、偶然任せになっていないか
ISO 56001で読み解く、日本企業のイノベーション不全
「新規事業部」ではなく、経営システムを変えなければならない
日本企業は本当にイノベーションが苦手なのでしょうか。研究開発費、技術力、現場改善力、特許、品質管理、人材の勤勉さを見れば、単純に「創造性がない」と断じるのは誤りです。むしろ問題は、個人や研究所、事業部の努力が、企業全体の価値創造へ変換されにくい構造にあります。
2024年度の日本の科学技術研究費は23兆7,925億円、GDP比3.70%とされ、4年連続で増加し過去最高となりました。研究主体別では企業が17兆4,303億円と最大です。(総務省統計局)
一方、日本の時間当たり労働生産性は2024年に60.1ドル、OECD加盟38カ国中28位にとどまりました。(日本生産性本部「労働生産性の国際比較2025」)研究開発投資は厚いのに、生産性や新市場創出に十分つながっていない。この「変換効率の低さ」こそ、日本企業のイノベーション不全の核心です。
この問題を読み解く補助線になるのが、2024年に発行された国際規格 ISO 56001 です。ISO 56001は、イノベーションを偶発的なアイデアや一部の天才に依存させるのではなく、組織として継続的に生み出すための「イノベーション・マネジメントシステム」の要求事項です。ISOは同規格について、イノベーション・マネジメントシステムを確立し、実施し、維持し、改善するための要求事項と手引きを提供するものと説明しています。(ISO)
日本企業の問題は「技術不足」ではなく「経営システム不足」にある
世界知的所有権機関、WIPOのGlobal Innovation Index 2025で、日本は139の国・地域中12位です。日本は高技術、研究開発、特許ファミリー、企業による研究開発などで強みを持つ一方、総合順位ではスイス、スウェーデン、米国、韓国、シンガポールなどに後れを取っています。WIPOは、日本が2025年に12位へ上昇し、2011年以来の高順位となったことも示していますが、同時に競争相手の顔ぶれは大きく変わっています。中国は2025年に初めてトップ10入りしました。(世界知的所有権機関)
国内統計を見ても、日本企業が何もしていないわけではありません。NISTEPの全国イノベーション調査2024年調査では、2021年から2023年までの3年間に、対象母集団の36%の企業がプロダクト・イノベーションまたはビジネス・プロセス・イノベーションを実現しました。54%の企業がイノベーション活動を実行しています。一方で、プロダクト・イノベーションを実現した企業は12%で、ビジネス・プロセス・イノベーションの32%に比べて低く、製品・サービスによる市場創出よりも、業務プロセス改善に偏りやすい姿が見えます。(NISTEP)
| 指標 | 最新データの示す姿 | 経営上の含意 |
| 科学技術研究費 | 2024年度23兆7,925億円、GDP比3.70% | 投資総量は小さくない |
| 企業の研究費 | 2024年度17兆4,303億円 | 民間企業が研究開発の主役 |
| イノベーション実現企業率 | 2021〜2023年で36% | 活動は広がっている |
| プロダクト・イノベーション実現企業率 | 12% | 新市場・新顧客創出は限定的 |
| 時間当たり労働生産性 | 2024年OECD38カ国中28位 | 投資が付加価値に変換されにくい |
| GII 2025 | 日本は139カ国・地域中12位 | 技術基盤は強いが上位国との差は残る |
この表が示すのは、日本企業の課題が「研究開発費をもっと増やせば解決する」という単純な話ではないということです。もちろん投資は重要です。しかし、経営陣が問うべきなのは、研究開発費の多寡ではなく、研究、顧客理解、データ、知財、人材、外部連携、事業撤退判断をどのように一つの経営システムとして結びつけているかです。
日本企業に多い「イノベーション不全」の5つの症状
日本企業の現場では、イノベーションに関する活動は数多く存在します。新規事業コンテスト、アイデアソン、アクセラレーター、CVC、DX推進室、生成AI活用プロジェクト、大学連携、スタートアップ協業などです。しかし、それらが事業成果に結びつかない場合、共通して次のような症状が見られます。
- 経営戦略とイノベーション活動が接続されていない
新規事業部門は「自由にやれ」と言われる一方、既存事業部門からは人材、顧客接点、データが十分に共有されません。結果として、社内の本流から切り離された実験室になってしまいます。 - 探索活動がPoCで止まる
実証実験は増えても、本格導入、事業化、撤退、再投資の意思決定基準が曖昧なままでは、実験の蓄積は経営知に変わりません。 - 既存事業の評価制度で新規事業を評価する
売上、利益、短期ROI、前年対比を重視する制度のままでは、不確実性の高い探索活動は常に不利になります。既存事業と新規事業を同じ物差しで評価することが、イノベーションの芽を潰します。 - 外部連携が目的化する
スタートアップとの面談、大学との共同研究、海外拠点の設置だけでは、イノベーションにはなりません。外部の知識を自社の顧客基盤、技術資産、販売網、製造能力、規制対応力と結合して初めて価値が生まれます。 - 失敗から学ぶ仕組みがない
失敗案件が人事評価上の傷になりやすい組織では、撤退理由、顧客の反応、技術上の制約、組織上の摩擦が共有知になりにくくなります。その結果、異なる部署が似た失敗を繰り返します。
ISO 56001は「認証取得」よりも「経営システム」として使うべき
ISO 56001を単なる認証規格として捉えると、その価値を狭めます。重要なのは、ISO 56001がイノベーションを「管理しすぎる」ための規格ではなく、不確実性を前提に、組織として価値創造の確率を高めるための枠組みである点です。ISOは、同規格があらゆる種類・規模・業種の組織に適用でき、イノベーションを体系的に育成・管理するアプローチを提供すると説明しています。(ISO)
いわば、ISO 56001はイノベーションを継続的な価値創造へつなげるための「経営OS」として機能します。
ISO 56001の発想を経営実務に置き換えると、問いは明確になります。
| ISO 56001の観点 | 日本企業で起きがちな問題 | 経営陣が問うべき質問 |
| 組織の状況 | 技術起点で、社会・顧客変化の解像度が低い | 2030年の顧客課題をどこまで具体化しているか |
| リーダーシップ | 新規事業を担当部門任せにする | 経営会議で探索領域の意思決定をしているか |
| 戦略・方針 | 既存中計と新規探索が分断される | 成長領域への資源配分比率を決めているか |
| 支援体制 | 人材、データ、知財、予算が縦割り | 事業化に必要な資源を横断的に動かせるか |
| 運用 | PoCが乱立し、撤退基準がない | 実験、評価、拡張、撤退のルールがあるか |
| 評価 | 売上だけを追い、学習を測らない | 仮説検証の質を測っているか |
| 改善 | 失敗案件が組織知にならない | 撤退案件から次の投資基準を更新しているか |
ISO 56001は、品質管理や環境管理のように、マネジメントシステムとして他のISO規格と統合しやすい構造を持つことも特徴です。これは日本企業にとって重要です。既に品質、環境、情報セキュリティ、安全衛生などの管理体系を持つ企業ほど、イノベーションだけが属人的・例外的に扱われている場合があります。ISO 56001は、その例外扱いを終わらせる契機になります。(ISO)
DXの停滞も、イノベーション不全の一部
DXは、本来イノベーションの重要な手段です。しかし日本企業では、DXが業務効率化、システム刷新、紙の電子化に矮小化されることがあります。IPAの「DX動向2025」は、日本、米国、ドイツの3カ国比較を通じて、日本企業のDXの現在地と課題を多角的に明らかにし、方向性として「内向き・部分最適」から「外向き・全体最適」への転換を掲げています。(IPA)
また、NISTEPの全国イノベーション調査2024年調査では、対象母集団のうち9%の企業が機械学習、すなわち人工知能を利用しており、前回調査より割合が増加したとされています。AI利用企業が増えていることは前向きですが、9%という水準は、AIを全社的な事業変革の基盤として使うにはまだ途上であることも示しています。(NISTEP)
これはISO 56001の視点と重なります。デジタル技術を導入しても、顧客価値、事業モデル、組織能力、評価制度が変わらなければ、イノベーションにはなりません。生成AIを導入して議事録作成を効率化することは重要ですが、それだけでは競争優位は生まれません。AIを使って顧客接点を再設計する、開発期間を短縮する、需要予測と生産計画をつなぐ、サービス化モデルを構築する、現場データを新しい収益源にする。ここまで踏み込んで初めて、DXはイノベーションになります。
経済産業省のデジタルガバナンス・コード3.0も、DXを企業価値向上に結びつけることを重視し、データ活用、デジタル人材の育成・確保、サイバーセキュリティ、取締役会の役割などを改訂ポイントとして示しています。これは、デジタルを情報システム部門の課題ではなく、経営システムの課題として扱うべきだというメッセージです。(経済産業省)
先進事例は「実験の場」を経営に組み込んでいる
日本企業にも、ISO 56001的な発想に近い取り組みはあります。たとえばトヨタのWoven Cityは、単なるスマートシティ構想ではなく、モビリティ、ロボティクス、生活サービスなどを実際の生活環境で検証する「テストコース」として位置づけられています。トヨタは2025年9月にWoven CityのPhase 1を正式に始動し、トヨタグループ社員と家族が最初の住民として生活を始め、一般来訪者は2026年度以降に迎える計画を示しています。(トヨタ自動車株式会社 公式企業サイト)
ここで重要なのは、技術展示ではなく、利用者の生活、フィードバック、企業間連携、実証環境を組み合わせている点です。イノベーションは研究所の中だけでは完成しません。実際の顧客や利用者の文脈にさらされ、技術、規制、安全性、UX、収益性が同時に検証される必要があります。
また、ソニーとTSMCが次世代イメージセンサーの開発・製造に向けた日本での新合弁を計画しているとの報道も、技術の高度化が単独企業内で完結しにくくなっていることを示します。設計、製造、プロセス技術、政府支援、車載・ロボティクスなどの将来用途が絡む領域では、エコシステム形成そのものが競争力になります。(Reuters)
海外では、マイクロソフトが2025年の年次報告で、AIがテックスタックのあらゆる層を変えており、自社もそれに合わせて変わっていると述べています。AI時代の競争は、単にAIツールを導入する競争ではありません。業務、組織、データ、セキュリティ、開発体制、顧客価値を同時に組み替える競争です。(Microsoft)
これらの事例から日本企業が学ぶべきことは、「大きな構想を掲げること」だけではありません。重要なのは、実験する場、外部と接続する仕組み、利用者から学ぶ回路、経営が投資継続・撤退を判断する仕組みを設計することです。
経営陣は「イノベーション・ポートフォリオ」を持つべき
多くの企業では、既存事業には予算管理、投資審査、KPI、リスク管理があります。一方、新規事業には、掛け声と熱意はあっても、ポートフォリオ管理がありません。これでは、偶然当たる案件を待つだけになります。
経営陣が持つべきなのは、少なくとも三層のポートフォリオです。
| 領域 | 目的 | 典型テーマ | 評価指標 |
| 既存深化 | 現在の収益力を高める | 原価低減、品質向上、既存顧客拡大 | 利益率、効率、顧客継続率 |
| 隣接拡張 | 既存能力を新市場へ展開する | サービス化、海外展開、周辺領域 | 新規売上、顧客獲得、採算化時期 |
| 探索創造 | 未来の成長仮説を検証する | AI、脱炭素、データ事業、社会課題解決 | 学習速度、仮説検証数、撤退判断の質 |
重要なのは、探索創造領域を既存深化領域と同じKPIで管理しないことです。もちろん、無制限に自由を与えるべきではありません。しかし、初期段階では売上よりも、顧客課題の深さ、代替手段に対する優位性、実証から得た学習、規模化の条件を評価すべきです。
経営会議では、四半期ごとに「どの案件が成功したか」だけでなく、「どの仮説が否定されたか」「どの案件を止めるか」「止めた結果、どの資源を次に振り向けるか」を議論する必要があります。撤退は失敗ではありません。撤退基準がないことこそ、経営の失敗です。
人材育成は「研修」ではなく「配置と権限」で決まる
イノベーション人材の育成というと、デザイン思考研修、DX研修、AI研修、リーダーシップ研修が語られがちです。もちろん研修は必要ですが、研修だけでは組織能力は変わりません。
重要なのは、学んだ知識を実際の変革テーマで使える環境を整えることです。人材育成で経営陣が見るべきポイントは、スキル講座の受講者数ではなく、次の三つです。
- 変革テーマに優秀人材を配置しているか
既存事業のエースを新規事業に出さないことがあります。しかし、難易度の高い探索領域ほど、顧客、技術、財務、組織を横断できる人材が必要です。 - 権限を渡しているか
新規事業責任者が予算、人事、顧客接点、外部契約の権限を持たず、承認手続きだけが増える状態では、意思決定のスピードは上がりません。 - キャリア上の安全性を担保しているか
探索案件が失敗した人材を冷遇すれば、組織は挑戦しなくなります。むしろ、優れた撤退判断や学習成果を評価する制度が必要です。
ISO 56001導入を12カ月で始めるロードマップ
ISO 56001を活用する際、最初から全社認証を目指す必要はありません。まずは経営システムの棚卸しとして使うべきです。以下は、経営陣が12カ月で始める現実的なロードマップです。
| 期間 | 取り組み | 成果物 |
| 1〜2カ月 | 現状診断 | 既存の新規事業、DX、研究開発、外部連携の棚卸し |
| 3〜4カ月 | イノベーション方針の策定 | 重点領域、投資配分、許容リスク、撤退基準 |
| 5〜6カ月 | ガバナンス設計 | 経営会議での審議ルール、ポートフォリオ管理表 |
| 7〜9カ月 | パイロット運用 | 重点テーマ3〜5件で仮説検証、顧客検証、外部連携 |
| 10〜12カ月 | 評価と改善 | 継続・拡大・撤退判断、制度改定、人材配置見直し |
このロードマップで最も重要なのは、ISO 56001を「文書化プロジェクト」にしないことです。文書は必要ですが、文書を整えることが目的ではありません。目的は、経営が不確実性を扱えるようになることです。
2030〜2035年に向け、イノベーションは防衛策でもある
2030〜2035年にかけて、日本企業は人口減少、人手不足、AIによる競争構造の変化、脱炭素対応、経済安全保障、サイバーリスク、サプライチェーン再編に直面します。これらは一部門では対処できません。既存事業を守るだけでは、環境変化に対応できなくなります。
イノベーションは、華やかな新規事業だけを意味しません。人手不足に対応する業務再設計、熟練技能のデジタル化、地域企業の共同物流、脱炭素型の製造プロセス、データを使った保守サービス、海外市場に適応した製品設計も、すべてイノベーションです。
ISO 56001の価値は、こうした取り組みを個別案件の集合ではなく、経営システムとして統合できる点にあります。研究開発、DX、人事、知財、法務、経営企画、事業部門をつなぎ、社会変化を読み、資源を配分し、仮説を検証し、学びを蓄積する。これが、これからの日本企業に必要なイノベーション経営です。
自社のイノベーションは、偶然任せになっていないか
最後に、経営陣が自社に問うべきチェックリストを示します。
| 経営の問い | 目指すべき状態 |
| イノベーション方針は明文化されているか | 中計やDX戦略と接続されている |
| 成長領域への投資配分は決まっているか | 既存深化、隣接拡張、探索創造の比率がある |
| 新規事業を既存事業と別のKPIで評価しているか | 学習、顧客検証、撤退判断を測っている |
| 失敗案件は組織知になっているか | 撤退理由と学習が再利用されている |
| 外部連携は事業化プロセスに組み込まれているか | 面談や共同研究で終わっていない |
| 経営会議で探索案件を定期審議しているか | 担当部門任せになっていない |
| 人材に権限とキャリア上の安全性を与えているか | 挑戦した人が損をしない |
日本企業に必要なのは、イノベーションを「特別な人が起こす例外」から、「経営が設計し、組織が継続的に実行する能力」へ変えることです。ISO 56001は、そのための有効な物差しになります。
研究開発費を増やすだけでは、2030年の競争には勝てません。DX部門をつくるだけでも不十分です。新規事業コンテストだけでは、企業は変わりません。経営者が自ら、イノベーションを管理可能な経営システムとして設計し、不確実性に資源を配分し、失敗から学ぶ組織をつくること。その覚悟が、日本企業の次の成長を左右します。
ISO 56001の考え方に沿ったイノベーションの仕組み化は、システムコンシェルジュにご相談ください
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